鍋島 Nabeshima

2005年11月08日

名前に運命的な出合い

富久千代酒造

酒米「鍋島」の復活に情熱を傾ける

「佐賀を代表するような酒を造りたい」そう考えていた昨春、江戸時代中期に石川県内で「鍋島」という酒米が栽培されていたと知った。「名前がうちの銘柄と同じで、運命的な出合いを感じた」県農業試験場に頼み込み今年6月、約300粒の種子を手に入れた。10月中陣、2キロの収穫ができた。来年は5アール作付けし、200キロの収穫を見込む。「鍋島は粒が大きく、精米してみないと分からないが、酒米や食用米に開発できれば。」順調に進めば2008年3月には商業ベースの新酒が誕生する。「鍋島を佐賀で復活させたい」の思いは募るばかりだ。
 
2005年11月8日:朝日新聞
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2004年09月14日

肥前浜宿から3カ所 国登録文化財に答申

富久千代酒造
文化審議会は174件を近代建築物の保護を目的とする有形文化財に登録するよう文部科学相に答申した。佐賀県内からは鹿島市浜町の富久千代酒造など三カ所七件が答申された。二階建ての「精米所」「麹室(こうじむろ)」は1921年(大正10年)頃の建築物とされ、一部は現役で酒造りに使われている。鹿島市は浜町の酒蔵通りを中心とした肥前浜宿一帯を文化庁の「重要伝統的建造物群保存地区」として保存する計画を進めている。
 
2004年9月18日:佐賀新聞
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2001年12月14日

日本酒鍋島徴古新たに2種類

富久千代酒造

富久千代酒造が販売

「徴古 甕貯蔵純米酒」は陶器(甕:かめ)の持つ気孔の働きでまろやかな熟成が得られたという。やや辛口でこくのある純米酒で、冷やでもぬるかんでも楽しめる。
 
2001年12月14日:佐賀新聞
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1999年10月09日

みんなの願いが込もった「鍋島」

富久千代酒造
「今は、人が来てくれるのを待っている時代じゃありありませんから。」と常に、市場にアピールできる酒造りを考えてきた。蔵元と小売店は、切っても切れない結びつきではあるが、一緒に新酒を開発する機会は少ない。飯盛さんをはじめみんな30歳代。フットワークの軽さが、新たな「佐賀の顔」の誕生に結びついた。「売りたい酒があり、造りたい酒がある」船員の気持ちが重なりました…と新酒誕生までの3年間を振えい返る。「日本酒には、人に根ざし、地域に根ざした文化があります。うまい酒があることで、小売店や蔵元が、町のコミュニティを作ることができたら」飯盛さんの夢はこれからもふくらんでいく。
 
1999年10月9日:西日本スポーツ
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1998年04月03日

佐賀を代表する酒、出来た!3年越しの夢実る

富久千代酒造
蔵元と酒屋さんの後継ぎ五人が、「佐賀を代表すする日本酒をつくり、売りたい」との三年越しの願いを実らせた。新銘柄は県内四軒の酒店でのみ販売する。酒には若者の熱意が滋味となって入っている。新酒「鍋島三十六万石」「肥州鍋島」のネーミングは1997年10月公募し、多数の名前が寄せられた中から決めた。三十六万石は甘口と辛口の中間、肥州は甘口と、県民に馴染みの口当たりに調えた。五人はコンビニ、スーパーと販売力に差があっても、心を込めた本物を売り、蔵元を代表する銘柄に育てたい」と夢見ている。
 
1998年4月3日:読売新聞
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1997年12月09日

銘柄「鍋島」に決定

富久千代酒造

来年2月に販売の日本酒

県内の中小酒店四店と蔵元一社が提携し、来年2月に販売の日本酒の銘柄が一般公募の結果、鹿島市の会社社長の応募作「鍋島」に決まった。銘柄の募集には28人から89点の応募があった。グループの一人は「鍋島の銘柄は佐賀のイメージに合い、地元の人に飲んでもらいたいという私たちの趣旨にぴったり」と話している。グループでは純米酒と本醸造酒を区別するため、純米酒は「鍋島三十六万石」本醸造酒は「肥州鍋島」とそれぞれ名付けた。
 
1997年12月9日:佐賀新聞
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